去年的四月正在找工作,當時心想只要有機會我都願意試試看。
因為說真的我也不知道自己確切的目標(慚愧)。
那時的我才真正體會到毫無目標、漫無目的頹喪的痛苦。
再加上在那之前的學生時代,課幾乎沒有那麼鬆過,
當時的心情可以說是閒到發慌,不禁感嘆哀~難道我是勞碌命?
小時候的我總是很明確地知道自己想要什麼,
也總是很有自信自己想要成為什麼樣的人,
但不知為何總覺得年紀越長或是看的事情越多,反而迷惘了?
轉眼間已經站在了出社會前的關口,
跨過這道門我們就不配擁有像對孩子們的寬容。
另方面也很怕離別,
因為從小到大我深深學到凡是只要離開那環境,
不論當時再怎麼愉快美好的回憶都會隨著時間被消磨。
這時突然想起從前聽過的一句話,
「人其實怕的不是死亡、而是被遺忘。」
或許只是過去突然聽到的一句話,
但可能是覺得很有道理吧,就這麼記住了。
去年の四月仕事探しをしていた。機会があればなんでも試してほしいと思ってた。
だって何をしようかと全く分からなかったもん。(恥ずかしいと思ってった私)
目標がないやってみたいこともなかったと言ってもいいほどだった。
その時の前授業がそんなに少ないことがなかったせいか?
何をすることがよいか全然知らなくて悩んでった。
もしかして私貧乏暇なしじゃなければならないだろう?
小さい頃何をしようかどんな人になるかとよく分かってた。
どんな人になりたいかといつも自信を持ってた。
でも大きくなったせいか、知ったことが増えてきたせいか?迷いになってしまった。
アッという間に社会人になる寸前にいた。社会を出てからもう子供のように甘えてはいけない!緩く扱わない!
その上、離れることも怖かった。
その場を出てからどんなに美しい思い出でも忘れたくない記憶でも、すりへらし易くなる。
「人は死亡を怖いじゃなくて、忘れられることを怖いからだ。」とその時思っていた。
過去で聞いた一言けれど、筋が通じると思ったかもしれないのでそのまま覚えった。
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